ダメ体験から見つける本当の自分

うぬぼれて有頂天になって人に喋りまくった結果、有象無象に”たかられて”しまう羽目に

(前回の「たまたま上手くいった事にしがみついて、世の中の変化に気づかず仕事が段々と下り調子に」の続きです

 

その頃、情報商材で貯めた資金を元手に「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ごとく、思いつく事は片っ端にやっていました。

その中で、「風俗店の紹介サイト」が少しづつ収益化しはじめました。

 

月収100万円くらいになった頃、きっかけがあれば色んな人と繋がろうと、思いついた企画を方々にメールで送っていました。

話しがしたいと言われれば東京まで行き、スカパーアダルトチャンネルの方と打ち合わせしたり、風俗店オーナーから話しを聞いたりしていました。

気持ちはいっぱしの事業家でした。

 

ただ、事業経験も乏しく、基本”思いつき”で浅い考えの行動ばかりで、上手くいかなくても反省しないので似たような事を繰り返してばかりしていました。

そのくせ、事業を始めたいという友達には、頭ごなしに「そんな甘い考えで事業が出来る訳がない!」

と上から目線で説教したり、周りからみたら「どの口が言っているのか!」といった感じだと思います。

 

自分は調子に乗って、過去に上手くいった事をあちこちで喋りまくって、それなりにお金に余裕はあるという振る舞いをしていました。

こんな自己認識がずれているのにすら気づかない人間は、今だから思えるのは、いい様に利用しようとする人から見れば「チョロい」んだろうなと思います。

 

たかり 其の1「やどかりニキSさん」

東京で出会った風俗店オーナーの仕事仲間の1人Sさんが、

私の運営している「風俗店紹介サイト」を盛り立てる手伝いをしたい!

一緒に事業をしたい!

と言ってきました。

戸惑いはありましたが、人に認められた感の方が勝っていて、私は前のめりスタンスで快諾しました。

 

積極的な提案はどんどん受け入れて進めて行きました。

そのうち、東京から大阪に引っ越したい、住むところがないのでしばらくは私の事務所で...

という話しをしてきました。

 

「電話やメール、たまに大阪-東京間の行き来だと不便だし、もっと密に進めていきたい」と

正直、かなり違和感抱きました。

 

ただ、私が褒めて欲しい事、断りにくい事は全て「顔に書いてある」くらいお見通しな様でした。

結局受け入れて、私の事務所に約半年住み着いてました。

自分の事務所で風呂入ったり寝ていたり、毎日生活されるのはさすがに不快だし、食事代がないと一緒にご飯食べにいったり、仕事上でも色々ゴリ押しで強硬されるのも煩わしくなって、安い賃貸物件の補償金を私が払う代わりに出て行ってもらいました。

 

たかり 其の2「システム会社から独立したIさん」

東京から来て住み着いていたSさんと進めかけた企画を私が引き受ける事になりました。

風俗店からライブ中継して、ユーザーと動画チャットするという、今ではさほど珍しくもない仕組みですが、

当時、インターネットはアナログ電話回線から「ISDN回線」に移行したばかりでした。

 

ISDN回線は2回線使用で128kbpsという速度です。

スマホで5Mbps~30Mbps(同じ単位に直すと5000kbps-30000kbps)

うちの今の事務所のフレッツ光で約300Mbps(同じ単位に直すと300000kbps)

なので、ISDN回線とフレッツ光では、約2300倍も速度が違う訳です

 

動画アップ専用に作られたハイスペックパソコンでしたが、そんな回線ではどうにもならず、バンバンとパソコンが落ちてしまい、課金ユーザーに購入ポイント補償したり、返金をずっと繰り返していました。

 

システム構築に約1000万円、毎月動画サーバー代に25万円

開始時は収益がサーバー代くらいまでありましたが、じわじわと赤字になっていきました。

毎月のランニングコストの負担が大きくて、インターネット回線も不十分で「これはダメだろう」と思いました。

でも、システム構築に1000万円以上もかけたので、すぐには辞めるに辞めれない状況でした。

 

結局、6カ月程で撤退しました。

 

その時にシステム構築から、動画サーバーレンタルまでをお願いしていた、システム会社の責任者Iさんとは幾度となく打ち合わせをして、検証や実稼働で関わったのでだいぶ仲良くなっていました。

その事業から撤退した後も何かあれば相談したり、依頼したりと付き合いを続けていました。

 

事業撤退から約半年後、そのIさんから相談があると呼び出されました。

そのシステム会社を辞めて、独立する事になりましたと。

これからも事業でサポートするので、サーバー代300万円を出資して欲しいと言ってきました。

 

企画書には、私側のメリットや既に取引先も決まっていて、返金計画は勿論、事業はすでに安泰。という事が書かれていました。

 

パソコンで1-2時間で作成した簡易な企画書を信用して、お金を貸すのか??

普通はその程度で貸さないと思います。

 

...貸しました💦

 

情報商材でたまたまお金を得た事を言いふらしていましたし、

採算が取れるかどうかの計算も出来ないのに、システム構築に1000万円かけて、

その当時の私にお金出させるのは楽勝だと考えたと思います。

 

Iさんは色んなクロージングトークを用意していたので、

私のツボにはまる言い方をすれば、お金は出すと確信していたんだと思います。

 

はじめの数回は返済があったのですが、半年も立たないうちに資金繰りが上手くいかなくなり返済が滞りはじめました。

 

「何があっても、必ず返します、逃げたりしない」

と言われていたのですが、段々と返信がなくなり、連絡も付かなくなり、会社も閉じて自宅も転居したみたいで居なくなっていました。

 

20代の頃、消費者金融に勤めていたので、借用書があれば、居なくなった人の住民票を代理請求して、転居先を特定する方法を知っていたので、住民票を数か月おきに請求して転居先を特定しました。

 

本人を見つけて詰めても、”ないものは払えない”とのやり取りのみで、しばらくしたらまた転居、探し出すを繰り返しました。

相手も住民票移動したら住所バレるんだと気づいたみたいで、住民票から転居先を特定する事はできなくなり、貸したお金は殆ど回収できないままになってしまいました。

 

たかり 其の3 「プレジャーボート買うからとYさん」

風俗店紹介サイトを立ち上げた翌年、風俗店向けの求人サイトを立ち上げていました。

その当時、求人雑誌の代理店をしているYさんと仕事で関りを持っていました。

 

この方とは5-6回関わった程度だったのですが、ある時相談があると言ってきました。

聞くと、

「仕事で頑張った自分への褒美にプレジャーボートを買いたいんです。しかし600万円足りなくて貸してもらえませんか?」

との事でした。

 

自分のご褒美買うのに人からお金借りるのか!?

 

さすがに私も、この話に乗るほどお人よしではないので断りましたが、なかなか引かなかったです。

後から思い返せば、私をおだてて機嫌良くして、今までの仕事に関する事、私の懐事情を探るような話を何度か聞き出そうとしていたので、「こいつはいける!」とロックオンされていたのかもしれません。

 

後から共通の知人に聞いた話では、Yさんの会社資金繰りが悪くなって廃業してしまったとの事でした。

 

たかり 其の4 「迷惑かけた元嫁にプレゼントしたいIさん」

2005年から、モデルを集めて広告にアテンドする仕事をはじめていました。

その頃、同業者で会合を行う様になっていたのですが、京都でアイドルユニットを手掛けていたIさんもそのメンバーのひとりでした。

 

1年ほど経って、Iさんから「相談がある」と電話ありました。

「別れた嫁さんとは今でも付き合いあって...」と話し始めました。

まあまあ長い、ストーリー仕立てな話しでしたが要約すると、

”迷惑かけた元嫁に恩返しで高価なプレゼントや元家族で旅行に行きたいのでお金を貸して欲しい”

という内容でした。

 

「頑張って自分でお金工面してプレゼントしてください」と断ると、

いや、困ってるんですよ!

と何故か怒り口調で

 

正直、(知らんやん)としか思えなかったです。

それからは音沙汰なく、アイドルユニットの方も辞められたみたいです。

 

たかり 其の5 大勢の人を巻き込んで夢を与えたけど実行できなかったSさん

それから数年後、飲食店の集客支援を行っている会社のSさんと出会いました。

アイデアマンで、事業立案が得意らしく、会うと

「今、こんな事業を考えているんですよ」

といつも話してくれました。

 

Sさんの考えたFX投資の仕組みが斬新で信用して100万円投資してみました。

途中で想定外の事が起きたらしく失敗したのですが、Sさんの元で女性起業家として社長に任命されたTさんが一年かけて全額返してくれました。

 

しばらくの間、バツが悪く連絡なかったのですが、2年ほどしてほとぼりが冷めた頃にSNSで見かけて、「今何しているのか」と最近の状況を聞きました。

 

後日、直接会って話を聞きました。

飲食店支援の会社も、女性起業家として社長に任命したTさんとも関りが切れて、今は別の人たちと事業構想しているとの事でした。

実際目で見たいと思い、打ち合わせや勉強会に参加しました。

 

大阪市の職員さんや病院グループの経営者、コンサルタント数名、飲食店チェーンのオーナーなど色んな人がSさんが発起人として進める事業に賛同されていました。

 

事業内容は複雑ぎて理解できませんでしたが、Sさんが進める新しい事業は株式会社として登記していて、関わる人には全員株主特権として利益を配当で還元したいから出資が必須との事で何十人の人が出資していました。

(後から出資の証明書を貰いました)

 

1つの大きな事業の中にITであったり、飲食店の運営支援だったり小さな事業がいくつもあって、それぞれに関係性を持たせるようにしてありました。

 

その事業をするのに必要なアプリの購入プラス半年の使用料が必要とか、事業の中心として関わる人には資格制度という名目で講座代それなりの額を求められたりとなんやかんやでお金を求められて不安になってきました。

(その事業として、外部からの利益が一切なかったもので)

ある会社の人は、その事業と自分の事業を接続する為に必要なシステム制作費70万円支払ったなど、後からどんどんお金を払ったけど、納品されない、約束した事が行われないという事が発覚しました。

ですが、その時すでにSさんは対応できずに雲隠れしてしまいました。

まずは仲間内からお金を吸い上げてでそれで終わってしまいました。

 

「たかられた」というより、自分に隙があった、欲にまみれてた、未熟だった事に気づきました

全ては自分が引き寄せてしまっていたんだと、一回では気づかないので何度も体験したのだろうと思っています。

「お金が儲かる」とか、「承認欲求を満たしてくれる」とか、未熟なのに、人に委ねて楽して利を得ようと欲かいてしまったのを見透かされた結果ですね。

 

自立していて、周りからの情報をきちんと精査できていれば、どれも防げる事ばかりなので...

 

【ダメ体験から見つける本当の自分】

投稿者プロフィール

fujita
fujita
「ケイオス人材戦略ファーム」
「METAブレイン」
代表トレーナー

以下の2つを主として活動しています。

■「社員がなぜ動かないか」という側面から経営者に向けて、経営者の自身への気付き、社内の人材戦略から収益アップに繋げるトレーニングを提供しています

■人生の傷(病気、事業の失敗、上手くいかない、人間関係の不仲、子どもの引きこもり、金回りが悪いなど)から、気づきを見つけて意味を理解し、人生を好転する為のトレーニングを提供しています



1969年生まれ大阪在住

1999年広告代理業として起業
2005年芸能プロダクション業開始

私自身、これまで順風満帆という事ではなく立ち上げた事業が軌道に乗らなかった事は数々あります。

1999年から続いた、夜の店舗の営業広告、求人広告向けネット媒体はスマートフォン対応に遅れてしまい、2015年には複数あった運営サイト全て終了してしまいました

その間、社員を理解できず他責になり、もめて仕事ところではない時期もありました

今のコーチング・コンサルティングスキルがあれば、当時の問題や危機は軽く解決したのですが、当時の問題解決を模索する学びがあったおかげで同じ境遇の経営者に向けたトレーニングスキルを開発する事が出来ました。

2013年には「GIST」という5万人に1人の割合で掛かる病気になり、病気をきっかけに自分の生き方、信じ込みが体に大きな影響を与えている事、体の不調だけではなく、ビジネス、人間関係、全ての生き方に対してのヒントがあると気付き、自身の体験を中心にノウハウ化して提供し始めました。

今でも、方々からの学びを得て、自身のノウハウをより精度の高いものにする事は継続しています。

こんな経歴になります、
よろしくお願いします。

-ダメ体験から見つける本当の自分